セメント樽の中の手紙 葉山嘉樹
今年一月に読んでその時つけたメモから。1/7読了。
togetterでこの作品が挙げられていたのでなんとなく再読した。
とはいえ別に怖くはない。
「 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのを見るに忍びません。」
恋人の死を劇場や大邸宅(=資本家)に利用されたくないということなのだ。
間接的には死の原因でさえ彼らによるものとも言えるのだから。
この辺の解釈を全く意識していなかった原因。
初読時のきっかけが「『グロい』と聞いたから読んでみた」だったのを思い出した。我ながらバカすぎて呆れた。
このブログの考察がかなり深くて興味深かった。
詳しくはリンク先を読んでほしいのだが、この作品はプロレタリア文学というよりも
「見えない中身が見えるようになる話」ではないか
という解釈も考えられるとのこと。
自身を取り巻く社会の構造がセメント樽の中の手紙によって与三に見えるようになったのだ。
プロレタリア文学というレイヤーの下に普遍的なテーマが潜んでいるから、思想を超えた複雑な味わいが残る作品になったのだと個人的には思える。
ちなみにこの小説、どうやら学校でよく読書感想文や「結末のあと与三は手紙の主に返事を出したか」などの問題が出されているようでYahoo!知恵袋で検索するとなかなか面白い。
マジで全然意味が分からない人、ラストの解釈で悩む人様々だ。
質問者が授業をマジメに受けていない可能性もあるが、もう少し学校でちゃんと教えてもいいような気はする。