ホンモノとはなんだ『カメリ』北野勇作
"ヒト"がいなくなってしまった世界で"模造亀(レプリカメ)"のカメリはカフェでオーナーの石頭とヌートリアン(戦闘用ヌートリア擬人体)のアンと一緒に働いている。
カフェには"ヒトデナシ"の常連たちが仕事前にやってきていつもにぎやかだ。
ヒトの消えた世界で送るカメリたちの日常が掌編形式で綴られていく。
最初カメリが映画「アメリ」をもじってるのタイトルから全然気が付かなかった…
読んでいくと固有名詞が実在の地名などのもじりだとわかる。"マントルの丘"とか。
これダジャレなんだけど、単なるダジャレって言うわけではなくて
「カメリ」という物語のコアを示唆している大切な要素になっている。
それはまがい物とはなにかってことなんだけど。
カメリたちは"ヒト"がどこかに引っ越してしまったあとに気がついたらこの世界にいてカフェで働いたりしている。
泥コーヒーと泥饅頭を出してTVドラマを楽しみにしていたりノミの市を冷かしたり。ハワイ(?)に行ったり新メニューを考案したり迷子になったり。
TVの中でしか知らない"ヒト"がいたときの世界をずっと模倣し続けているのがカメリたちの日常だ。
ときどきホンモノのように見える世界がひずみから顔を覗かせかける。
ただその謎が解けることはなく、ひずみは閉じてしまいカメリたちの日常がまた繰り返される。
このひずみやズレのようなものはカメリたちにもあって、
日常的なシーンから突然に
「え?ええっ?そんな事する?」
って場面が結構出てくる。
例えばカメリが生んだ卵をオムレツにして客に提供しちゃう話とか。
(しかもそこで「カメリって女の子だったんだ~」つって客のヒトモドキにリボン貰うのがまたなんかちょっと…)
遠くへ移動するときは"メトロ"を使うのだけどその"メトロ"は生き物。
爪を身体にぐさっと刺して掴まって乗るのだ。なんか体液とかも出てくる。
しかもその"メトロ"の産卵場所でカメリは食事をするのだ。おなかすいたからそこにある卵を。
逆にカメリたちがいつも通りでもまわりが唐突に姿を変えてしまうこともある。
いつもあったカフェがある朝現れた山の頂上に、とか。海と陸の境界が壊れて街が"再起動"されたりとか。
しかしそのぎょっとする瞬間もSF的真実も日常のコメディに再び飲み込まれて世界は平然としている。みんなギャグも言う。
だからカメリたちの過ごす世界はそれはそれとして愛おしい"本当"なんだと思うし、カメリやみんなが笑っていると読んでいるこちらもうれしくなる。
意外と猪突猛進なカメリも子供たちにサバイバル戦闘術を教えるTVドラマ好きなアンも昔のことを覚えてるんだか何だかよく分からないマスターもみんなチャーミングだ。
私はこの捉えどころがないようであるようなこの話がすっかり好きになってしまったのだった。